部屋の掃除をしていたら、中学三年生(!)の時の夏休みの宿題が出てきました。作文で、お題は「人生最後の晩餐メニュー」。読んでいて愉快になってきたので文末などはちょっと手直ししつつ転載します。
「最後の晩餐」と言っても、状況によって何を食べられるかは違います。
それが隕石の衝突、などというのでしたら何も考える間も無くあの世に行っているでしょうし、「お前は三日後に死ぬ。」と言われて納得した上で改めて食事について考える人はおそらくいないでしょう。なぜ最期を宣告されるのか。それが謎であるため、このことを考えるのが難しいのです。
しかも残念なことに、私は好き嫌いの起伏があまりないため、これさえ食べられれば死んでも悔いは残らない、という物もありません。強いて言えば梨が好きですが、それを五個も十個も食べるのは食事として気持ちが悪いので避けたいです。
かといって、最後だからとやたら豪華な食事をするというのは趣味ではありません。何らかの理由で最期の日が延びたり、生き残った場合虚しいと思うからです。
病気で死が近いときは病人食を摂らざるを得ないでしょうし、「その場にあるもの」が最後の晩餐でしょう。そこで大切なのは「何を食べたか」ではなく、「これまでの人生を締め括るにあたり相応しいものは何か」だと思います。ただ、そうなると私の場合、食べ物に関する執着がそれほど強くないので晩餐ではなく、読みかけの本を片っ端から読んでいくといったことが簡単に想像できます。知識を得ることこそ我が人生といった格好いい話ではなく、ただ単に途中で切れていたら気になるからだと思いますが。それに関しての執念深さは、最後であれば、食欲に勝るでしょう。
メニューは、今の時点では「レ・ミゼラブル」、「リア王」、「リチャード三世」、「ドリアン・グレイの肖像」というところでしょうか。
それだけ「食べる」ことができたなら、そこまで時間があるかどうかは分かりませんが、ひとまずは人生の終わりとしてよいかと思います。私らしい終わりかもしれません。
はい、ひねた中学生ですね。しかも今と文体と思考が変わっていません1。 はっ、成長していないと言うことですか!
- 手直ししたのは文章の呼応などの文法的事項にとどまります。[back]

